魅力再発見 ふながたブログ 特派員のつぶやき「若あゆと古代ロマンの里 舟形町」の旬な情報をお伝えします

本日の舟形.com 「昔の舟形駅で。」

舟形駅の跨線橋から見た景色です。

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写真むこう側は新庄方面です(*゚v゚)ノ

一時は「これでちゃんと走れるんだろうか・・・」と心配になってくるほどたくさん雪が積もっていた線路ですが、今はだいぶ姿が見えるようになってきました。

今年の冬もここで電車が止まってしまったり、色々ありましたねぇ( ´・ω・`)

来年こそはラニーニャ現象だか何だかにならずに、おだやかな冬を過ごせるといいですsnow

 

…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。…。oо○**○оo。

 

終戦前後のことになりますが、実は私のおばあちゃんもこの舟形駅で駅員さんをしていました。

その頃の舟形駅は今よりずっと大きな駅で、ふなしんや清流荘のある場所には、駅長室や宿直室などが建っていたそうです。

当時の舟形にはまだ炭鉱場があったし、やってくる電車には米兵や捕虜などがたくさん乗っていたので、仕事はなかなか大変だったみたいです。

たまに聞く苦労話が、多分この写真に写っている辺りでのできごとだと思うのですが、夜に橋の先の信号が切り替わらなくなると、電灯を持たされてよくひとりで直しに行った、という話です。

橋の下は小国川・・・

しかも夜!!

想像するだけでも恐ろしいです(=゚ω゚=;;)

でもおばあちゃんが言うには、夜の方が下が見えない分、昼よりもマシだったそう。

私にはとてもできそうにないなぁo(;△;)o

ちなみに夜勤の時は、寒いので用務員さんの所でストーブにあたってサボったり、眠気覚ましに年の近い同僚とかくれんぼをして遊んで、助役さんに怒られたりしていたそうです。

孫に聞かせるなら、おばあちゃんももっと自慢になるような話をすれば良いのに・・・

舟形駅に勤める前は炭鉱場で働いていて、そこでは仕事中に友達とおどりを踊っていたところを上司に見つかり、叱られて腹が立ったのでやめたそうです(._.)

おばあちゃんってもしかして、むかし不良だった・・・?

でもよく考えると、その頃ってまだ16歳か17歳くらいの年なんですよね~。

今だったら、学校に行って友達と遊んでいる頃です。

いくら戦時中といっても、今の10代の子とそんなに気持ちは変わらないですよね。

本当は遊びたいのを我慢して(いえ、遊びながら)親を養っていたのだから、偉いものです。

まだ微妙~に親から養ってもらってる私は、もっとがんばらなくちゃ(=´Д`=)ゞ

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